アトピー性皮膚炎や食物アレルギーがある子の子育てをしている人の多くは、それ以外にも結膜炎や鼻炎など様々なアレルギー疾患がついて回ることを経験しているのではないでしょうか。
わが子の場合は、生後4カ月の耳鼻科通いから始まりました。
耳垢を取ることは保健師さんから丁寧にやり方を教えていただいていたので、お手本通りのケアを毎日欠かさずしていました。
それなのにある朝、耳からものすごい臭いがしてきたので、慌てて子どもを耳鼻科に連れて行きました。
お医者さんによると鼓膜の内側に水が溜まっていて、そのままにしておくと耳が聞こえなくなってしまうこともあるから、鼓膜を切開するけど鼓膜は再生するから心配いらないということでした。
ただアレルギー体質によるものだから、再発を繰り返すこともあるので注意してね。と付け加えられました。そして、それから半年近く出勤前に耳鼻科に行く日々が続きました。
耳鼻科通いが落ち着いたころに卵を食べると呼吸器がおかしくなり顔や手に湿疹が出ることに気づき、色々な病院を受診して食物アレルギーだとわかりました。
乳製品を口にするとポンプのように吐いたり、下痢が続いたり、症状と食べ物の記録をつけながら医師と話し合い血液検査もして、卵だけでなく乳成分もアレルゲンだと確認できたのは2歳になってからでした。
その頃は少し広めのところに引っ越し、共働きということもあって保育園探しが延々と続き、公立保育園の空きが出るまで保育ママさんや私立保育園の臨時保育を活用していました。
月単位や時には週単位で保育者が変わる中、食物アレルギーのことは半信半疑で対応してくれましたが、私も当時の保育者の方々も知識が乏しく、その結果、微量の誤食を何度も経験することになりました。
呼吸困難はもちろん大変なことでしたが、そうしたことが落ち着いた後も皮膚の状態はすぐには落ち着かず、手足のくびれにはいつまでもジクジクした皮膚炎が残り抗アレルギー作用のある軟膏や保湿クリームを塗ったり、かき壊し対策のために包帯を巻いたり、爪を短く切ってお昼寝や夜就寝するときにミトンをつけたり、あの手この手の対策が続きました。
誤食さえしなければそうした皮膚トラブルは起こらないのに、保育者との話し合いや説得が必要で、家族も親族も半信半疑のままなので、周りの人が「本当に食物が発症の原因なんだね」と納得するまで、誤食や皮膚トラブルはずっとついて回りました。
そうした子どもにとってのつらい日々は、私にとっては事実を人に伝えることの難しさに打ちのめされ、自分が語る言葉に無力感を感じる日々でもありました。
そんな中でも心が壊れずに何とかやりくりできたのは、子ども自身が「これ痛い」とか「コンコン出る」と原因となった食物を覚えていて、私に教えてくれる場面が何度かあったからだと思います。
事実は、咳が出て止まらなくなったときに「コンコン出たね」と私が確認したからかもしれませんし、本人が食べると口が痛いと騒いだ時に「口の中が痛いんだね」と私が言ったからかもしれません。
2歳の子の意思表示は気まぐれです。
大人がそれを真に受けるのは賢明ではなかったのかもしれません。
それでも本人の意思表示を確認し記録しそれを疑わずに医師と話し合いを重ねることに、当時の私はすがりついていたと思います。