「6月では考えられない暑さ」「災害級」といった言葉が、テレビやWebニュースからあふれてきます。
ニュースに触れる度になぜか2011年の夏も暑かったことを思い出しました。
東日本の震災で被災したアトピー性皮膚炎や食物アレルギーがある人から日々電話がかかってきました。
暑い体育館で扇風機は数台しかなく、冷蔵庫はあるところないところ様々でした。
アナフィラキシーショックを起こしたときに使うエピネフリン(注射)は15度~30度の温度帯で管理しなければならず、「冷蔵庫は普通は4度くらいだろうから冷蔵庫に入れるわけにもいかないしどうしたらいいだろう」という相談があり「試しに避難所にある冷蔵庫内の温度を測ったら」と話したところ「16度くらいあった」と返事をもらい驚いたことがあります。
自分が冷やしたいものに名前を書いて、多くの人が冷蔵庫に物を入れるので冷蔵庫は満杯の上に、いろんな人がそれぞれのタイミングで開け閉めをするため、普通の冷蔵庫内よりはるかに高温になっていたのだと思います。
それに何より、あの夏はとても暑かったのです。
小学生と中学生のお子さんがいて避難所に暮らす人に会いに行った時、食べ物や子どもたちのケアのことなどいろいろ話を聞きました。
その時印象的だったのは、「毎年の夏は自分の汗でかぶれてアトピー性皮膚炎がひどくなるのに、今年はいつもより汗をかいているはずなのにあまりひどくなっていない」と不思議がっていたことです。
実はそれについて思い当たる節がありました。
震災の影響でプール授業を全く受けられなかったことで、皮膚が塩素にさらされて乾いたりカサカサにひび割れたりしなかったからではないかという可能性です。
今年は新型コロナ禍や電力供給不足などいくつかの困ったことが重なって、プールの授業が延期や中止になった学校がいくつもあると聞きました。
プールを待ち望んでいた子どもたちには申し訳ないのですが、塩素によるカサカサ対策をしなくていいことにほっとしている親御さんは案外多いのではないかと思っています。
わが子も保育園と小学校に通う間は「プールの後のスキンケア」が課題でした。
ある年、肌の状態がとても悪かったので、プールを2回続けて休み、いつもと変わらない包帯巻きだけしていたことがありました。
皮膚がカサカサになる強い刺激がなかったせいか、皮膚は自力でゆっくり回復していきました。
その経験をしてからというもの、本人はがぜんやる気になってプールに入ったときは人より早くシャワーを浴びに行き、家に帰ってもシャワーを浴び「塩素が残っていない」状態でいつものスキンケアをするようになりました。
それがよかったのかどうかわかりませんが、その夏を境に「夏のひどい皮膚」になることはなくなりました。
そんな経験をくだんの方にお話しすると「ああなるほど」とポンと手を打ったのです。
実は親戚の人が避難所から子どもたちを連れだしてくれて遠くのプールに入りに行った日に「ずっといい感じだったのにちょっとかゆくなってきた」と子どもたちからメッセージが来たのだそうです。
その人は別れ際「プールに入ったら塩素をよく洗い流して保湿しようって子ども達に言います。なんで今まで気が付かなかったかなあ」と笑いながら手を振ってくれました。
あれから11年経ったのですね。