侵出液が出る状態は、我が子の場合は口の周りや頬が最初でした。
口の周りの症状が落ち着くと今度は耳切れが始まり、切れたところに浸出液が出てくると自分の浸出液にかぶれるようになり、痒くて痛い傷口はどんどん広がっていきました。
子どもは着替える時に洋服が耳に引っ掛かると痛いので、着替える時はいつも腕を最初に袖から抜いて、首の部分から指先を出して本人が両手で耳を押さえている間に私が洋服を首から抜くという連携作業が自然にできるようになりました。
傷口をよく洗い保湿剤や時にはステロイドをぬって、快方に向かうもののすっきり治るまでには随分時間がかかるので、オムツが取れるよりも前に子どもはお着換え上手になり、スキンケアも嫌がらずにやる子になっていました。
治りたい一心だったのかもしれませんが、初めての子育てであたふたとしていた私は子どもの協力に随分助けられました。
しかし傷口は耳切れが落ち着いた頃、手足のくびれや足の甲に広がるようになり新たな展開を迎えていました。
3~5歳の頃が一番ひどく、洗ってスキンケアをして時には包帯を巻いていたのに、手足は文字通りぼろぼろな感じになっていきました。
その頃食物アレルギーと診断されて、アレルゲン対策が始まると、賽の河原のように際限のない皮膚の悪化が少し落ち着くようになり、このままうまく治るかもしれないと感じることも時折出てきました。
ただ残念ながら物事はすっきりと解決はせず、保育園に通うようになると、いいことも悪いことも新たに経験しなければなりませんでした。
暑い日の水遊びはうれしいけれど、塩素を使った洗い場やプールは皮膚症状をあっという間に悪化させ、濃い塩素を含む水は皮膚の乾燥を助長するので、それを水道水で洗い流した後すぐに保湿すれば皮膚はなんとか熱をもたずに落ち着いた状態に戻るのですが、タイミングが悪いと熱を持った状態になり傷口はジュクジュクと悪化してまた数週間、子どもの忍耐と協力を頼みにスキンケアや包帯巻きの日々が繰り返されることになるのです。
園の先生方は沢山協力してくださいましたが、沢山の子どもがいる中で我が子だけ大急ぎで対処することをいつもいつもお願いするのは無理なことです。
時にはうまくいかないこともあり、子ども自身はそのことをよくわかっていて、回を重ねるうちに自分でやろうとするようになり、それを先生がサポートするような形に変化していきました。
本人は不器用で上手にはできませんでしたが、周りにいるたくさんの大人たちが見守ってくれていたのだなと振り返ると改めて感じます。