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ニョロニョロはもういない

子どもは既に巣立って一人暮らしをしています。

先日久しぶりに帰ってきて、お茶を飲みながら昔話をしました。

親も子もそれぞれが腕や指先に症状があり「薬を塗り」「包帯を巻く」ことを1日に何度も繰り返さねばならず、薬で汚れた包帯が山のようになって、それを毎日洗いひとつひとつ広げて洗濯ばさみで吊るして干した光景を、二人して事細かに思い出しました。

それはまるで、ムーミン谷に住むニョロニョロが歩いてきたみたいで、あれは我が家の軒先を見て描いたイラストなんじゃないかと言いあったりしました。

薬を塗って包帯を巻くことは永遠に続くと思っていたので、気が付いたときには必要なくなっていたことがとても不思議でした。

いったい何年間ニョロニョロがいたのかも、記憶はあいまいでした。

網目の包帯が、湿潤で崩れていくような皮膚を覆ってくれて、かゆみをだいぶ和らげてくれることに気づいたのは子どもが小学生になった頃だったと思います。

そこから計算するときっと7年か8年は包帯を洗って干していたのではないかと思います。

その後も症状はなくなったわけではないものの、症状が出る場所が変化し、湿潤に悪化していくこともほとんどなくなり、悩みや課題も変化していました。

子どもは一番多感な時期に、いつも包帯をしている状態で、匂いや色も気にしていたのに、今ではそのできごとが「何かを乗り越えた記憶」として残っているようでした。

私は、子どもの皮膚の状態が落ち着き、包帯が不要になってからも、いつまたぶり返すのかという不安にさいなまれ、その後5年くらいはきれいに洗った包帯や、補充した新品の包帯を箱にセットしいつでも使えるように準備していました。

ある時それを全部ゴミ箱に入れて「もう大丈夫」と自分に言い聞かせたのですが、親子それぞれで記憶していた同じ景色を笑って語り合えたことで、あの不安だった日々が少し癒された気がしました。